2016年3月23日水曜日

最近思うこと(社会、革命、宗教、そして、個人)

応用物理学会2016春の講演4件は、無事に終わった。
自分は2件の発表(うち1件は「注目講演」に推薦されたもの)もう2件は学生2名による修士研究の発表となった。終わった感想としては、「甘くはなかった」ということ。
準備もさることながら、自身の能力では、まだ4件は手一杯という感じで、講演の質を落としてしまうということに気付いた。

まあ、終わったことは終わったこととして、MS-OCTや広視野振動計測、逆伝搬などを世に知らしめたということで良しとして、最近思っていることを。。

人はよく社会的動物だといいますが、だから人間は、社会的革命なんかにあこがれるのかもしれない。民衆が一つになって既存勢力をぶっ倒すのは、非常にカッコいい!しかし、それは限界があって、結局は人間が作りしものは人間の水準に留まって下流に流れてしまうということ。共産主義も民主主義もナチス社会主義もファシズムも新自由主義も、あらゆる人間どもが考えた支配構造は、例外なくすたれてしまっている。かのローマ帝国すら滅んで1000年以上が経つ。アメリカも衰退し、ロシアも衰退する。中国が世界を牛耳るなんてこともない。

結局は、自己自身の昇華こそが、必要であるということ。そこに、人々が気づいたとき、キリストイエスの偉大さと神性に気付き、帰依するのではないだろうか。偉大な神の愛の中でこそ、生きる道があるのである。

ISなどのイスラムテロが猛威を振るっている。残る紛争は、宗教紛争になりそうな感じで、宗教を盾に愚衆を扇動またはコントロールする時代が必ず来るのだと思う。そこで目にするのは、なんと的外れなことに。「社会的革命」であろう。(まあ、私の邪推です)

イエスの時代もそうであった。イエスの説いた真理は、社会的革命の類ではなく、次元の違う人間の救いに関するものであった。しかし、政治色の強い「イスカリオテ」のユダが弟子に入っていたことからも分かる様に、人々はローマの圧政からイスラエルを救援する社会的革命家としてのメシア(ダビデ王のような英雄)を待ち望んでいたのである。イエスを裏切ったユダもそうだったかもしれない。彼の望んだこととイエスの真理は次元が違っていた(少なくとも彼はイエスを理解しなかった)。だから彼は失望し、イエスを裏切ったのかもしれない。そして同じ誤解を今の人々もしているのである。




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