2012年3月20日火曜日

ネット社会批判論 ~ネットと実社会、その虚構が生み出す産業~

巷には、表現の自由を求める意見があります。特にネットでの情報発信について表現の自由を主張する方々もおります。私は表現の自由を求めること自体には大賛成です。しかし、今までの社会での個人の権利と責任の問題とまったく同じようにネットでの情報配信にはその情報が波及された結果、他人の権利を著しく害していないかについての責任もついてくるものだと思っています。この意見については正論過ぎて誰もあえて反論はしないと思います。

そいうことを踏まえて、私はブログで実名を公開しております。それは、大きく二つの効果を狙ってのことです。先ずは、セルフ・プロデュースとしての配信手段としです。これは一般的な話なのであえて取り上げるまでもないと思います。

そして、私の場合は二つ目として、自身のイメージの保護のための積極的な防衛手段としての実名ブログです。不特定多数が接続可能なネット上での酷い実名中傷(特に2ch)に対する対抗メディアとしての実名ブログです。(多くの方からこの件について相談に乗っていただき、私を誹謗しているある個人については感知しないことにしております。法的な闘争も、中傷内容に関する具体的な反論もいたしません。バカを相手にする時間もありません。ほっとけば自滅します。ただ、私は私なりに自分の身の回りの経験を正直に書くつもりです。)ネット情報は実社会の情報に比べたら取るに足らない劣等品だと信じております。今回は、まったく唐突ですが、そのネット社会に対する日ごろ思っていることをユビキタス時代(またの名を無節操で無責任な時代)の無節操で無責任な意見として書き散らしてみたいと思います。

そもそも、ネット社会が実社会を支配する事(いうなればweb-domain social)が実現するか、甚だ懐疑的です。ネットの誕生そのものは、いたって土臭い必要性に迫られて誕生しています。歴史的には戦争、紛争等で情報的な優位に立つための手段としてARPANETが開発されたのが始まりであるように、実世界の事象或いは産業的ニーズ無しにしてネット世界は成り立たないと強く感じています。つまり、ネットは実世界を反映するが、実世界がネットを反映しているか?という疑問に対して否定的です。

まだ、それほどネット世界は成熟していない(技術的というよりは社会的意味で)と思います。結論から書くと、ネットの情報源はまだ信頼を得ていない。不特定多数のユビキタス的な接続環境は返って、情報の信頼性を損なわせるのではないでしょうか。具体的には、今はやりのフェースブックにしろ、ツイッタにしろ(56年前はブログやチャットなどが流行ったけど)、これらは余剰産業のような趣味範囲を超えてないように見えます。本当に意味のあるウェブ上の活動は必ずリアルでの経済活動(生産と消費の両方)と密接に関連しており、そのコマーシャル的な役割と言えます。実社会のスポンサーが無い限りネットは一人歩きしないのです。

 家電量販店では、あたかも情報革命がおこったかのごとく、スマートフォンを売ります。アップル、サムソン、ノキア、いろんな企業が競って携帯型ウェブ端末やタブレットを売り出します。ある大学ではi-padを使った授業もあるくらいです。しかし、電話は0円携帯で満足し、メールやネットはノートブックで十分である私にとっては、何でもないことを如何にビジュアル的に優れているかのように見せて商売しているようにしか見えないのです。(もしi-padgalaxy phonematlabが運用できて、実験データが計算できて複雑な図表付の論文が書けるなら話は別ですが)

今のイノベーションはお金儲けの見かけだけのイノベーション(とくにappleの製品はそうではないか!)であること以上に、我々人間がそれほど情報ベースの社会を必要としているかが問題です。つまり、四六時中ネットにつながって情報を受けて発信する事が実社会での生活にどれほどニーズがあるかです。もし私が一国の首相ならその発する情報は一般人のそれとは比較にならないほど重要であるでしょう。しかしそういう重要性(または情報ポテンシャル)が高い情報源ほど無節操な配信は不可能になります。今も昔も重要な情報ほど秘匿にされ、吟味されたうえで公開されるのが常です。つまり、結果的に情報を氾濫させる発信源の多くは、不特定多数にとってどうでもいい1ユーザーによるものになるわけです。実社会基盤がユビキタス的な情報のやり取りを必要としていない(或いは、まだ時代が追い付かない?)現状に鑑みても、この過剰な情報の氾濫から何か新しいブレークスルーが誕生したことは一度もありません。あるのは、ネットでの誹謗中傷、どうでもいいニュース、どうでもいい広告、時間つぶしのゲーム、未成年へ悪影響を及ぼす画像とかの氾濫です。数少ない便利な機能といえば、ネットで通販ができたり、ホテルや飛行機の予約ができたりすることです。この唯一の利便性すら購買活動のリアルなプロセスが省略されただけのものです。結局、消費社会の助長と利便化以外に人間の精神性や霊性にいい影響を与えるイノベーションはあまり見受けられません。

上記のように、ネット社会の利便性とその意義は生産と消費を基盤とする実社会の付随的な道具でしかならないことが明白に証明されているのです。最近になってフェースブックがエジプトなどアラブ諸国での民主化運動に使われたという事が盛んに取り上げられています。しかし、これらも結局、色んな政治系のスポンサーがいて始めて広がり始めたのであり、真に1個人の配信活動から始まる純粋な反政府運動ではないみたいです。しかしながら、このような極端な例のほかに、ネットの自由な活動が社会を作っていくかという問題は、今のところ「できない」という方向に固まってしまっていると思います。

では、今後どういう形態のネット社会に発展して行くでしょうか。一つ言えることは、今までにないくらいに高度に産業化され、機能的なネット社会になるのではないかと思います。ひと昔前のネット世界は今よりもずっと自由で無法地帯だったように記憶しています。しかし、ヤフーの株価が1億円突破したあたりから、グーグルに代表するような少数のIT企業が世界を支配するようになりました。ここでの「支配」は管理という意味と実社会への経済的完全従属を意味すると思います。実にネットの表現の自由は徐々に統制され規制されていっているように見えます。その反面個々人の配信の自由と選択は格段に広がっています。この矛盾は、産業化という答えによって矛盾なく説明できるのです。結局、ネットの出現はお金儲けの仮想的なフロンティア空間を提供したに過ぎないのではないでしょう。グーグルのような先駆的な大企業が地主になって小作人たちを養う(実は搾取する)ことになるでしょう。大学のメールサービスがGメールになったこの頃、そういう私の妄想はもはや妄想ではなく現実になりつつあります。

以上、結論をまとめると、ネットにはもはや表現の自由と精神性向上の追求や社会変革などといったメルヘン的な夢は存在しないという事です。それは、ユビキタス的自由を与えられた愚民の推し進めた自堕落が招いた自業自得の因果です。実社会もネット社会も結局は需要と供給の虚構的な産業として統合されていきます。これは当然の結果であり、実に合理的な方向性なのです。ここで虚構という言葉をつかったのは、ネット社会がもたらす恩恵は最初から実態のない虚構だったという事です。それでも私たち愚民はありがたがってその虚構の満足感に浸ることが許されるのでしょう。その代価は税金のようにシステマティックに課金されていくわけです。ネット社会は一つのヴァーチャルな市場に落ち着き、個人の情報配信は手段の多様性とは反して趣味の域を出ない貧弱なもの(不特定多数にとってはどうでもいい個人的な情報や信ぴょう性に乏しい情報)になり、情報ポテンシャルの高い情報はすべて統制され有料または実名登録され居場所が把握された者にしか共有されなくなると思います。

今後は「インターネット」とか「ウェブ」、または「IT」という言葉自体消えるのではないでしょうか。もう消えつつありますが、ツイッタやフェースブック、グーグル、ユーチューブなど、企業名や商品名が情報通信手段の代名詞になっていくでしょうし、同じベースの技術であっても機能ごとに様式が分化されていくと思います。これらは上位のネット社会として質の高い情報、しかし、消費行動と直接つながりがあるサービスを提供し人々を経済的に支配(ちょっと言い過ぎかも)するでしょう。そしてもう一つのメインストリームは、2chの進化系のような、ゴミだめや便所の落書きなどと呼ばれるジャンク情報専門のコミュニティーが出現すると思います。そのジャンク集団は無償で情報を提供し、配信可能なサービスを自発的に行うと思います。今でいうハッカー集団や違法ダウンロードを利用する輩がより一般化し、我々愚民にもわかりやすい形になったものでしょう。産業化、統合化へのアンチテーゼとしてそれらの無法地帯はいつまでもサイバースペースに残っていくと思います。しかし、それら底流のジャンクすらも上位企業によって裏で管理されているかもしれないです。

このような二極化はいつ起こるのでしょうか。それは今のネット社会が完全に実社会の経済活動の手段となり下がったとき、またIT産業という概念自体が消える(ITの無い産業はありえなくなる)とき起こると思います。もうすでに始まっていますが、今はまだその兆候しか見えないかと思います。こういうタイムラインに事象を置いてみると、ヤフーやグーグル、そしてアップルは如何に先駆的だったかと思い知らされます。今後上位ユーザー向けにユーチューブが有料になったら、或いはグーグルが有料の検索サービスを提供したら、その時はもはや実社会とネット社会は境目がなくなると思います。その代わり、ネットの虚構が生み出す産業はより確実に私たちを支配するようになるかも知れません。

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